「未来」2006年10月号(No.481)



東宝系の映画館の徒歩圏内に居着いてからようやく映画館に足を運ぶようになったものの、一朝一夕で映画通になるわけもないし、映画を見る作法もわからない。藤井仁子さんのスピルバーグ論はとても興味深いけれど、映画に批評性を求めるという視線を必ず存在させなければならないのか、まず私はそこにつまづく。少なくともそれは、映画を鑑賞する上での視線のひとつに過ぎない。そして、批評性の存在を認めて映画を見るということを、個人的には却下したい気持ちにかられる。アニメ化されたブギー・ポップを見たときも思ったことだけれど、享受する一方の娯楽と看做し親しんできたメディアが、隠喩や示唆によって鑑賞者に対話を強いるのに出くわすと、快楽を裏切られたような気分になる。
スピルバーグミュンヘン」のラストシーンで、撮影時には無いはずのワールド・トレード・センターがCGで再現されていることに、私は気付かなかったし、そのことによって映画の不理解を咎められるのはまっぴらだ。むしろ気付きたくなかったのだから。